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密教占星術──不空の『宿曜経』

空海によって密教とともに伝えられた宿曜すくよう経の内容と、宿曜経を基本テキストとした密教占星術(宿曜占星術、宿曜道)の歴史について、少しずつ調べて整理していきたいと思います。
当記事は、今後も、頻繁に加筆(場合によっては修正)していく予定です。

目次

密教占星術のテキスト『宿曜経』は、原本なく、不空の創作⁉️

密教占星術のテキストである、漢文の『文殊師利菩薩及諸仙所説吉凶時日善悪宿曜経』(略して『宿曜経』)が成立したのは、764年のことです。
成立に関わったのは、密教の流布に並々ならぬ野心をいだく不空(705~774/父親はインドのバラモン、母親は西域人)で、数えでちょうど60歳のときになります。

長いタイトルの意味は、〈文殊師利菩薩および諸々の仙人が説くところの、時日の吉凶と宿曜の善悪のお経〉って感じでしょうか。
晩年は文殊信仰の宣布に熱中していた不空ですから、文殊菩薩は分かるとしても、それだけでは物足りなかったのか、ほかの仙人まで付け加えての権威付けとは、なかなか仰々しいですね。

まあ、当時の経典だとそんなものだったのかな、と思う反面、見出しに書いたように、宿曜経には原本となるサンスクリット語版がないとなると、やっぱり不空による創作なのかと思ったりもしちゃいました。1

それはともかく、宿曜経の内容は、インド占星術であって、仏教の教理とはまったく無関係でした。
ところが、不空はこの占星術を密教に取り込むことで、密教を国家宗教にまで高めようと考えていたようなんです。

事実、不空といえば、玄宗皇帝が道教に嵌まっていたせいで、宮廷からまったく相手にされていなかった密教を、安禄山の乱以降、皇帝一族、宦官、軍人などの信頼と支援を勝ち取り、たった一代で、国家宗教並みの存在に引き上げることに成功したと言っていい人物です。

また、後世の仏教界では、二大訳聖やくせいとも仰がれる鳩摩羅什くまらじゅう玄奘げんじょうと並んで三大翻訳家、それに真諦しんだいを加えて四大翻訳家の一人に数えられるような超インテリでもあります。

それが、宿曜経に関する目論見だけは、まったくの期待外れに終わりました。

矢野道雄 著『密教占星術──宿曜道とインド占星術』には、「当時、西方から伝えられたホロスコープ占星術は、またたく間にインドに広がり、惑星の位置計算を必要としたので、それに伴ってインドの数理天文学も発達していった」「惑星の位置計算だけでなく、星占いの道具立てと方法も複雑化し、専門的になっていった」と説明があったあと、次のように書かれています。

不空が南インドとセイロンを訪れた八世紀中頃には、インドの占星術は、十分に専門化していたはずである。
しかし彼の『宿曜経』には、そのような専門的テクニックは見られない。
新しい要素といえば、七曜の概念と、十二宮と十二位についてのほんのわずかの知識だけである。
複雑な惑星の位置計算を複雑な道具立てとからみ合わせてこそ、占星術師は専門的権威を維持できたのだが、不空はそのような知識を織り込まなくても、『宿曜経』を成功させられると思っていたのだろうか。
それとも、そのような専門知識を学びとる余裕がなかったのだろうか。

なんと、不空の『宿曜経』は、当時のインド占星術の初歩だけを伝えたものに過ぎなかったのです。
やはり同書によれば、『宿曜経』の内容は、インド古来の前兆占い(吉凶の前兆による占い)を集めた「ムフータル文献」と呼ばれるものに近いそうです。

これはどういうことでしょうか。
不空さんぐらいの卓越した高僧でも、寄る年波には勝てなかったということでしょうか。
そもそも、宿曜経の翻訳(もしくは創作)は、生涯に渡って怪物的な事業活動に取り組んできた不空にとって、やらねばならない仕事だったのか、という点も含めて、この件が、今回、調べたなかで、もっとも大きな謎として残りました。

  1. 佛教大学のこちら↓の論文『宿曜経の研究─東西文化交流の資料として──』の「二 宿曜経の梵本は存在しない」に詳しいです。
    https://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/DD/0001/DD00010R001.pdf
    私も参考にさせてもらいました。ありがとうございます。 ↩︎
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